都内の心霊スポット5選。刑場跡、首塚、慰霊堂など暑い夏に背筋も凍る…
不思議な現象が起きたり、幽霊が目撃されたりと、噂が絶えない心霊スポット。
東京都内にも「刑場跡」や「首塚」といった心霊スポットが存在します。
今回は、夏の暑さを吹き飛ばす5つの心霊スポットをご紹介します。
鼠小僧次郎吉も処刑された!?「鈴ヶ森刑場跡」
江戸時代の処刑場所「鈴ヶ森刑場」(すずがもりけいじょう)の跡地が、今でも東京都内に残されています。
●どんな場所か
鈴ヶ森刑場とは、現在の品川区南大井に存在していた刑場です。
正確な記録は残っていませんが、約4万人に及ぶ冤罪の犠牲者を含め、10万~20万人もの罪人が串刺しなどの残酷な方法で処刑されたと言われています。その中には井原西鶴の『好色五人女』で取り上げられたことで有名な「八百屋お七」や、芥川龍之介の時代小説など創作物の題材になった、伝説の窃盗犯「鼠小僧次郎吉」らも含まれていたという説があります。
●見どころ
鈴ヶ森刑場跡には「首洗いの井戸」という、斬首された首を水で清めるために使用する井戸があり、そのほか磔(はりつけ)の刑や火炙り(ひあぶり)の刑に使われていた台の礎石なども残されています。
心霊スポットであると同時に、江戸時代の文化が学べる「史跡」という側面も持ち合わせています。
●心霊の噂
鈴ヶ森刑場跡では、昔から数多く幽霊の目撃情報が報告されていて、写真に写り込むこともあったといいます。
『関東近郊ミステリースポット紀行』(ベストセラーズ)という書籍では、首洗いの井戸の近くに着物姿の幽霊が写り込んでいる写真が紹介されています。
アクセス:京浜急行「大森海岸駅」から徒歩5分
JR線「大森駅」から徒歩15分
祟りが怖すぎ…「平将門首塚」
「平将門首塚」(たいらのまさかどのくびづか)は、打ち落とされた平将門の首が落下したと言われる場所です。落下地点には諸説あり、関東には「平将門首塚」と呼ばれている場所が何カ所も存在しているのですが、東京・大手町の首塚はその中でも特に有名です。
●どんな場所か
首塚とは、戦死者や罪人の首を供養する目的で造られた塚のこと。
伝説によると、将門は「承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱」(平安時代中期)で討ち死にした後、その首が平安京へ運ばれて河原でさらされたのですが、突然首が夜空へと舞い上がり、故郷である東国に向かって飛んでいって落下したとされています。それがこの「平将門首塚」です。
●見どころ
平将門首塚はオフィス街の中にありながらも緑に囲まれた場所で、今でも墓前には四季の花が手向けられています。
一見ただの観光スポットのようですが、実はこの首塚には恐ろしい祟りがあると言われています。
●心霊の噂
平将門は「崇徳天皇」「菅原道真」とともに「日本三大怨霊」のひとつに数えられていて、今でもその首塚には祟りがあると恐れられています。
この首塚を取り壊そうとした人に、不可思議な現象が起こっているのです。
・首塚に庁舎を建てようとしたら…
1923年に発生した関東大震災で全焼した大蔵省の庁舎を再建するために首塚を壊したところ、大蔵大臣をはじめとする関係者計14人が亡くなりました。
さらにケガ人や病人も続出したことから建設工事は中止、仮庁舎は取り壊されました。
・米軍が取り壊そうとしたら…
終戦後、日本に進駐してきた米軍が首塚のある土地を駐車場に変えようと工事を開始したところ、作業中のブルドーザーが横転して運転手が死亡。
工事は中止となりました。
・敷地内に銀行を建てたら…
高度成長時代に首塚の土地の一部が国から金融機関に売却され、そこに日本長期信用銀行の建物を建てたところ、首塚に面した部屋にいた行員が次々病気にかかるという事態が発生。
その後お祓いが行われました。
※諸説あります。
これらは平将門の怨念にまつわるとされているエピソードのほんの一部です。
アクセス:東京メトロ「大手町駅」C5出口から歩いてすぐ
身元不明のご遺骨が眠る「東京都慰霊堂」
関東大震災や東京大空襲によって亡くなった約16万3000体もの遺骨が祀られているのが「東京都慰霊堂(いれいどう)」です。
●どんな場所か
東京都慰霊堂とは、関東大震災による身元不明の遭難者約5万8000人の遺骨を納め、その霊を祀るために1930年に建てられた慰霊施設です。
当初は「震災記念堂」と呼ばれていましたが、戦争による東京大空襲などの犠牲者約10万5000人の遺骨を併せて納められたことをきっかけに、名称を「東京都慰霊堂」と改めるようになりました。
●見どころ
公園自体が慰霊を目的として造られたメモリアルパークであるため、園内には慰霊堂以外にも関東大震災に関する建物や記念碑が数多くあります。
緑豊かで、子どもが遊べる遊具も設置されています。一方で、防災意識や平和への願いを再確認するために訪れる人も少なくありません。
●心霊の噂
東京都慰霊堂では、亡くなった方々の亡霊を見たり、犠牲者の悲しい記憶がフラッシュバックし、自らの意思と関係なく涙が止まらなくなる、という不思議な体験をした人もいるようです。
『怪談徒然草』(角川ホラー文庫)という本ではこの場所で起きた体験談も紹介されています。
たくさんの人の魂が眠っている場所です。
東京都慰霊堂へ訪れる際には亡くなった方々への敬意を払い、弔いの気持ちを忘れないようにしましょう。
アクセス:地下鉄大江戸線「両国駅」A1出口から徒歩2分
JR線「両国駅」西口から徒歩10分
関連HP(都立横網町公園):http://tokyoireikyoukai.or.jp/
血塗られた歴史を今に伝える「小塚原刑場跡」
「小塚原(こづかっぱら)刑場」はただ罪人を処刑していただけでなく、あの『解体新書』の誕生にも関わりのある心霊スポットです。先ほどご紹介した「鈴ヶ森刑場」、八王子市大和田に存在していた「大和田刑場」とともに、「江戸三大刑場」のひとつに数えられています。
●どんな場所か
江戸時代から明治時代にかけて現在の荒川区南千住に存在していた小塚原刑場。
罪人に対する扱いは先ほど紹介した鈴ヶ森刑場以上にひどく、処刑された罪人は見せしめのために埋葬されずに放置されていたと言われています。
その後、その様子を見かねた弟誉義観(ていよぎかん)という住職が、刑死者を弔うために1667年に常行堂(じょうぎょうどう)という寺院を建てました。常行堂はその後、回向院(えこういん)と名前を変えて現在も同じ場所にあります。
この回向院には、上記「鈴ヶ森刑場」で処刑されたとご紹介した「鼠小僧次郎吉」のお墓があります。そのことから、実は小塚原刑場で処刑されたのではないかという説も存在しています。
●見どころ
小塚原刑場跡には回向院から独立した延命寺というお寺があり、そこには罪人を供養するために建てられた「首切り地蔵」という高さ3mにもなる大きな地蔵があります。
また1771年に、江戸時代の蘭学医・杉田玄白が『ターヘル・アナトミア』という解剖学の本に載っていた人体解剖図を検証するために仲間とこの地を訪れ、刑死者の解剖に立ち合ったことで『解体新書』を作り上げたと伝えられています。
●心霊の噂
小塚原刑場跡ではさまざまな怪奇現象が起こると噂されていますが、駅の近くにあることや人通りが多いことから、鈴ヶ森刑場跡ほどの不気味さはありません。
心霊スポットにあまり行ったことがないという方は、まずは小塚原刑場跡からスタートしてみてはいかがでしょうか。
遊女の投げ込み寺「浄閑寺」
吉原遊郭からほど近い場所にあり、身寄りのない遊女たちの遺体が担ぎ込まれた場所が「浄閑寺」(じょうかんじ)です。
●どんな場所か
小塚原刑場跡から大関横丁方面に400mほど向かったところにある寺院で、創建されたのは1655年だと言われています。
当時は引き取り手のいない「吉原遊郭」の遊女たちの亡骸を葬る場所として使われており、1855年の「安政の大地震」の際には500人近くもの遊女が投げ込まれるように次々と葬られたことから「投げ込み寺」と呼ばれるようになりました。
●見どころ
境内には歴史を感じさせるたくさんの史跡がありますが、特に不気味さを感じるスポットが「新吉原総霊塔」と「首洗い井戸」です。
・新吉原総霊塔
1793年に遊女を供養するための供養塚として造られたもので、1929年に供養塔へと改修されました。
浄閑寺によると、遊女以外の人たちも含め、江戸時代から昭和までの間に2万5000人以上がこの場所で葬られたそうです。
・首洗い井戸
浄閑寺の見どころは、遊女にまつわるところだけではありません。
「首洗い井戸」は、江戸時代に「本庄兄弟」の兄が親の仇討ちに失敗して「平井権八」という武士に殺され、弟が兄の首を洗った井戸です。その隙をつかれ、弟もここで命を落としたと言われています。
近くにはふたりの霊を慰めるための首塚もあります。
●心霊の噂
遊女たちの遺骨は今でも総霊塔の中に納められていて、境内にはいくつものお墓があります。
この場所を訪れた人の多くは、悲惨な一生を終えた遊女に想いを馳せ、もの悲しい気分になるそうです。
小塚原刑場跡から歩いて行ける距離にあるので、一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。
心霊スポットへお出かけの際は心の準備を忘れずに
今回ご紹介した心霊スポットは、いずれも死者の魂が眠る場所ばかりです。暑い夏を涼しく過ごしたい方は、これらの場所でいつもと違う雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか?
ただし訪れる際には、何が起きても大丈夫なよう、心の準備を忘れないようにしましょう。